香山リカ 著
暴力男に愛される満足感
1996年に出版された業田良家さんのマンガ『自虐の詩』(竹書房)がいまだに売れ続けている、という記事が、最近の週刊誌に載っていました。
元ヤクザで今は無職のイサオに尽くし続けている幸江さんが主人公のこのマンガ集には、「日本一泣ける四コママンガ」と書かれた帯がついています。
雑誌連載時にはイサオと幸枝意外の人たちの話も出てくるオムニバス形式のマンガだったのですが、このカップルの人気があまりにも高かったため、単行本ではふたりの話だけを集めたとのこと。
無口なイサオは不満なことがあると、とにかくよくちゃぶ台をひっくり返します。幸枝さんに直接、手を上げることはないのですが、彼女が苦労して稼いできたお金を平気でギャンブルや酒代に使ってしまう。
それでも幸枝さんがイサオに惚れ続けている理由は物語の後半で明らかになるのですが、途中まではイサオはただの暴力男に見えます。
幸枝さんのバイト先の店主でなくても、「あんな男とは早く分かれなさいよ」と言いたくなるでしょう。
それでもイサオを支え続ける幸枝さんの姿はマンガだからこそ感動的なのですが、現実の世界の話となると、事情は少し変わってきます。
そして今、暴力的なパートナーとの問題に苦しむ女性も増えてきているのです。私もクリニックで毎週、必ずといってよいほど暴力夫や暴力彼氏との関係に悩む女性の相談を受けます。
どんな理由であれ、男性から女性への一方的な暴力は許されません。力の弱い女性の側には抵抗の術がないからです。
悪いのはどちらか、答えはあまりにも明らかなので、周りの人たちも口をそろえて「早く別れなさい」と言う。本人もそのほうがいい、とわかっている。でも別れられない、と彼女たちは悩んでいるのです。
しかも、マンガの中の幸枝さんは明らかにイサオに惚れているから離れられないのですが、現実の女性たちはもはや相手を愛しているかどうかも分らない。と言うことが多い。
「殴られても彼を愛しているから、いいんです」と思うなら、最初からクリニックには来ないでしょう。「殴られるのは嫌。彼のことが怖いし、きらい。でもどうしても別れられない」というのが悩みなのです。
「どうして自分は別れられないのだと思いますか」と聞くと、多くの女性は「別れたらひとりだから」と答えます。
「ひとりになるよりは、殴る相手でも一緒に居てくれた方がいい」と言うのです。
そこで「いくら誰かと一緒に居ても、自分を殴って大切にしてくれない相手なんか意味がないでしょう」と言うと、「いえ、彼は私を愛していると思います」という答えが返ってきます。
「私が必要だから殴ってでもつなぎ止めようとしているのです」「私だけに気を許しているから殴るんです」と暴力の理由づけにが、自分の中ででき上がっているのです。
マンガ家の一条ゆかりさんはタレント北野誠さんの対談集『不幸になる理由がある』(主婦と生活社、2004)の中で、「たいての女には、『征服されたい』というDNAが入っている」と言い、だから暴力男と別れられない女性が跡を絶たない、と言っています。
「暴力男っていうのは一番極端なんだけど、女って威張られるのが好きなのよ。ホストだって、実は威張る系のほうがモテる。
威張る、強い、頼りがいがあることになっちゃうんですね。やっぱり女は頼りたい。守って欲しいって思う生き物だから。
威張る男って、その願望を満たしてくれるような気がするんです」
私は「征服されたい願望」がすべての女性の中にあるとは思いませんが、ただ威張られ、殴られることで「これは私に対してだけ行われることなんだ』という満足感があることは確かだと思います。
以前、暴力男に関して、殴る男のパートナーである女性のほうに「こんなダメな男を支えてあげられるのは私だけ」という母性愛にも似た感情があり、それがますます男性の甘えを有発しているのも原因、との説明が盛んに行われていたことがありました。
しかし、現在の女性たちは「こんな彼を守ってあげられるのは私だけ」という大きな母性愛で恋人や夫を甘えさせてくれるとは、とても思えません。
それよりもクリニックで私がよく聞く「彼と別れたらひとりぼっちだから。殴る男でもいないよりいたほうがマシ」という説明のほうが。現状にはより則していると思います。
ただ、彼女たちが、殴られながら「こういう目に遭っているのは私だけ」と自分の“かけがえのなさ”のようなものを感じている可能性は否定できません。
クリニックに相談に来ていた二十代後半の女性は、「親や兄や妹には期待していたけれど、私はいてもいなくてもいい存在だった。
でも、彼が殴るのは私でなければダメなんです。私以外の人は殴らないんですから。そう思うと、彼のもとを去れない」と話していました。
殴られることで、そのたびに自分が彼から特別に指名されたような実感を感じることができる、と言うのです。
逆に言えば、そのほかの場面では「君じゃなければ」と指名される経験をしたり、“かけがえのない”感覚を味わったりすることはまったくない、ということです。
しかし、冷静に考えれば誰でもわかるように、その男性はおそらくその彼女ではなくても、妻や恋人になった女性なら誰でも殴るはずです。
彼女が恋人のもとを離れたとしても、その男性はまたちゃんとほかの女性を殴ります。殴られることは決して、「君じゃなければ」と指名しされているわけではありません。
それなのに痛い思いをし、怪我をしたり命の危険を感じたりするのは、なんとも理不尽です。
つづく
「私を捨てた彼に復讐してやる」